ラネージュユキオカ物語

      (取材: 株式会社アルファブランディング)

 

 

オーナーパティシエ 雪岡  孝征

 

1969年、兵庫県篠山市生まれ。大阪商業大学 商経学部にて企業経営を学び、神戸の有名洋菓子店でパティシエとなる。

 

海外での修行ののち、2002年に芦屋でラネージュユキオカを開店。オープン当初はさまざまな種類のケーキを提供していたが、2004年よりチーズケーキに特化することで一躍人気店となった。テレビ出演、雑誌掲載など多数。

 

また2011年になって丹波篠山にイギリスの古民家風カフェを開店するなど、こだわりのお店を展開中。


 

こだわりのチーズケーキ

チーズケーキ

関西の高級住宅地として知られる芦屋。セレブが集まるこの街は、洋菓子店の激戦区のひとつとして知られている。

 

その地にあって、チーズケーキに特化した品揃えで勝負しているのが「ラネージュユキオカ」である。独創的な発想で作られるチーズケーキは、その素材選びにも強いこだわりがある。

 

「美味しいチーズケーキを提供し続けたい。」そう語ってくれた雪岡氏。今回、そんな雪岡氏に生い立ちから今に至るまでのプロセスや考え方を語っていただいた。

 

 

 

生い立ち

 

私の育った兵庫県の篠山市は、一般的には丹波篠山と呼ばれており、今でも美しい自然が残るところです。水がとても美味しく、祖父はいわゆる丹波杜氏で、冬場になると酒蔵からお呼びがかかっていました。一つの酒蔵だけではなく、何か所からも声がかかる杜氏だったそうで、酒造りの名人でした。祖父が帰ってくると、お土産にたくさんの酒粕がありました。また、父は農家を営んでおり、自分の口に合うものばかりを作っていましたね。そんな環境だったので、味覚が敏感に育ったと思います。これは自分で作るケーキに対してだけではなく、材料の買い付けなどにも生かされています。高校を卒業する時に、将来、自分で喫茶店を開店したかったので経営を学ぼうと思い、大阪商業大学へ進学しました。大学で勉強続ける中、アルバイトとしてですがバーテンダーなどをやり、味覚を養うことは忘れませんでした。

 

きっかけ

 

もともと喫茶店をしたかったのですが、単なる喫茶店では経営が成り立たないだろうと思い、他の店と差別化できるものを探していました。たまたま食べたケーキが美味しくて、調べてみると超有名店。直ぐに修業を決意して、意気揚々と店の門を叩いたのですが、あっさり門前払いでしたね。オーナーにも会わせてもらえませんでした。せめて私の決意だけでもオーナーに伝えたいと思い、そのあと回通いました。回目でやっと会ってもらい、人手は足りているようでしたが、なんとか雇ってもらう事が出来ました。簡単にあきらめちゃダメですね。非常に厳しい店でしたが、そこで洋菓子作りの基本をみっちり教えてもらう事が出来ました・・・と言うより盗み見て覚えました。

 

修行の旅

 

仕事を通じて少しずつ洋菓子に詳しくなっていく中で、徐々にイギリスに古くから伝わるお菓子に惹かれて行きました。ついにイギリスのお菓子を学びたいと言う気持ちを抑える事が出来なくなり、海外での修行を決意しました。イギリスのお菓子を学ぶのですから、当初はイギリスに行こうと思ったのですが、イギリスには古くから伝わるお菓子作りが、もう残っていないんですね。先輩のパティシエに相談したところ、「イギリス移民の多いニュージーランドには、まだまだ残っている。」と聞きました。そう聞くと居ても立ってもいられなくなり、勤めていた洋菓子店のオーナーに退職したいことを伝え、直ぐさま家財道具を売り払ってニュージーランドへ向かいました。行く宛はなかったのですが、洋菓子を作る基本的な技術は身に着けていたので、行けばなんとかなるだろうとは思っていました。目ぼしい洋菓子店を見つけると、雇ってもらえるように交渉しました。事前に書いた英文の自己紹介を片手に必死でしたね。1ヶ月ほど修行すると他の地域へ移動して、また修行先のお店を探す。そんな生活を続けていました。この期間は本当にパティシエとしての技術が上がったと思います。1年ぐらいして、だんだん学ぶことが少なくなってくると、早く自分のお店を持ちたいという気持ちになり、帰国の途に就きました。 

 

挑戦

 
Cake

帰国して直ぐに店舗探しを始めました。バイクで色々な街を見に行く中で、街路樹が美しい街を見つけたんです。それが芦屋でした。店舗をいろいろと捜し歩いて、何とか良い物件を見つけることが出来ました。知人の口添えがあって借りる事が出来たのですが、その時改めて人とのつながりは大事だと感じました。まだ阪神淡路大震災の影響が残っていた2002年のことです。次の問題は開業資金です。少しの貯蓄はありましたが開業資金には少な過ぎました。親や親せきに頭を下げてお金を借り、なんとかオープンにこぎつけました。オープン当初はお客様も少なく、このままやっていけるのかと言う不安で一杯でした。ただ、ケーキは最高のものを作っていたつもりです。特に素材にはこだわりを持っていて、小麦粉、卵、フルーツ、砂糖など、全て生産者と直接会って仕入れていました。今もお店が休みの日には、日本国中を飛び回って素材を探し歩いています。お客様も徐々に増えて来て下さり、お店は順調に伸びて行きました。


不安

 

お店も順調で幸せな日々ではあったのですが、ある時から自問自答の毎日になりました。「うちのお店って、どこにでもあるケーキ屋やんなぁ。どこにでもあるケーキ屋を出すために修行してたんとちゃうねんけど。」この頃は既に結婚もしており、2人の子宝にも恵まれていました。新しい事にチャレンジするにも、家族を養っていかなくてはなりませんので、昔とは違って簡単に前に踏み出すと言う訳には行かなくなっていました。

 

出会い

 
Takayuki Yukioka

この頃はお店の方向性に関して不安を抱えた時期でしたが、それと同時にいろいろな人と出会うことが出来た時期でもあります。妻は老舗料亭出身でしたので、料亭の総料理長から、直々に黒豆の煮方や丹波栗の渋皮煮の作り方を教えてもらって、篠山の特産品を生かした和スイーツを生み出すきっかけにもなりました。また、当店のスタッフには、実家が大きな牧場を営んでいる方がいて、牛乳やチーズやバターなどの作り方など、いろいろ教えてもらって大変勉強になりました。この牧場は北海道の浜中町にあり、ここはハーゲンダッツジャパン指定の牛乳の生産地となっている場所です。この牧場主の奥さんの手作りチーズはとてもバリエーションに富んでいるもので、さらに興味が広がりました。そのチーズを食べながら、私はニュージーランドでの修行時期を思い出していました。ニュージーランドは酪農の国なので、美味しいチーズがいっぱいあるんですよ。その時ひらめいたんです。これでチーズケーキを焼いてやろうって。大急ぎで自分のお店に戻りました。焼いたチーズケーキは申し分ない出来栄えでした。翌日から試食品と一緒に店頭に並べたのですが直ぐに完売です。それから毎日、寝食を忘れてチーズケーキを焼いていました。私は余程喜んでいたんでしょうね。家内からは「チーズケーキ専門で行ってみない。」と言われました。この日が本当の意味でのラネージュユキオカの開店日だったのだと思います。


広がり

 

それからと言うもの、全国からチーズを買い付けると、気温や湿度などで材料の分量を変えて、さまざまなレシピでチーズケーキを作りました。厨房はさながら実験室のようでした。その頃に作ったブルーチーズを使ったチーズケーキは、今やお店の看板商品のひとつになっています。一度、チーズケーキの評判が広まり始めると、テレビや雑誌などでも取り上げられるようになり、遠地からも商品を送って欲しいと言うご要望もいただくようになりました。今では通信販売も行っており、美味しいと言うお声を全国から頂けるようになりました。

 

新たな一歩

 

チーズケーキは奥が深く、まだまだ、色々なバリエーションをご提供できると思っています。近々、もっと美味しいチーズを探しにヨーロッパへ買い付けに行く予定です。新しい味を期待していてください。あと、先日、丹波篠山にカフェをオープンしました。昔から思い描いていた古民家のアンティークや丹波焼の器を使った、和の室礼のカフェです。自慢のチーズケーキと美味しい珈琲をお出ししています。ついでに田舎なので空気も美味しいですよ。みなさまのご来店をお待ちしています。